今朝の散歩は収穫のある散歩になりました。
いつもと違う道を探索中に新しい家までの快適なルートを発見したのです。
今までのルートは1か所だけ信号のない交差点を渡る必要があり、私の中で小さなストレスになっていました。今回発見したルートは信号もあり、家までのルートがスムーズになり最高に良いのです。
子供の頃にこれってこういうことだんだ!と発見した時に感じた高揚感を久しぶりに感じました。
今日も良い日になりそうです。
散歩の中で考えていたことは、仕事復帰についてです。
先日、以前勤めていた職場のリーダーから戻ってこないかというお誘いがありました。職場環境も以前より良くなり、働き方も考慮できるからと。
私が外で働くのを辞めた一つの要因は自分の境界線を守ることが出来なかったからです。家庭を持ちながら仕事をしていくうえで必要なことは、
「自分の境界線をきちんと設定すること」だと思います。
でもこの境界線をきちんと設定するには自分軸をしっかりさせる必要があると思います。私はまだ揺らいでいて成長過程の中にいます。
私は子供の頃から優しいねとよく言われていました。子供の頃は100%の褒め言葉でとても嬉しく思っていました。でも、今は優しいと言われても、素直に喜ぶことが出来ません。その優しさとは嫌われたくない思いから、相手にきちんと主張出来なかったり、自分を犠牲にして尽くしてしまっている優しさなのかもしれない。真の優しさではないと感じているからかもしれません。
今私に必要なのは、「真の優しさ」です。
真の優しさとは何なのでしょうか。
私にとっての真の優しさとは相手に依存させることなく、自立と成長を促す優しさだと思うのです。
以前までは、悲しんでいる相手や辛くなっている人に寄り添う事や困っている時に手助けをすることが優しさだと思っていました。もちろん、それも大切なことだと思います。
でも今私に必要なのは単に手をさしのべるのではなく、課題の分離をした上で寄り添い、必要に応じて手を差し伸べる事だと思うようになりました。
例えば、他の人のミスを自分のミスとして処理すること。
その時はいいかもしれないが、のちに同じミスをしてしまうかもしれない。これは、
その人のミスなのだから最後までその人が処理する必要がある。
シフト交代の依頼で、自分自身の体調はすぐれないが用事があるわけではないので承諾すること。
自分を犠牲にする必要はない。それは相手の課題であって、自分が変われないことに責任を感じる必要はない。
子供が体操服を忘れた。
忘れたのは自分で確認を怠った子供の責任だ。次に同じことを繰り返さないように学校に届けることはしない。
明確にその問題は誰が困ることになるのかはっきりさせる。
相手が困ることになるのなら、その相手の課題として、自立させる支援をとる。
今までの私は他人の課題を背負い込み過ぎていました。それは、嫌われたくないとか良い人と思われたいという欲もあったからだと思います。でも真の優しさとは、本人が自分の課題だと認識して向き合えるように支えることだと気づいたのです。
この真の優しさをもたなければ、私自身も成長せず前に進んでいくことは出来ないだろう。
私が1歩前へ進むために必要なこと。
自分軸をしっかりさせる。
自分を大切に思う。
決してあせらない。
まずはそこからだ。
それを出来るようになったときに、真の優しさを身に付けることが出来るだろう。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
↓↓↓こちらのブログへの応援クリックをお願いします!