昨日の小学校のイベントで久しぶりに近所に住む友人と話す機会があった。その友人から「今、何の仕事してるの?」と聞かれ「今はしていない」と私は答えました。
その友人は6年間同じ場所で勤務しているそうです。私は仕事復帰して3か所務めましたが長くて1年半年です。
私が仕事を辞めた理由は「色々人間関係とかも大変で・・」と説明しました。
でも、寝る前にふとこの会話を思い出したときに、本当にそうだったのだろうかと思ったのです。
仕事をしていたときの記憶が蘇ってきました。
ずっと心のもやもやになっていたため、あえてブログに記載し頭を整理することにしました。
結婚を機に3年務めた仕事を辞め、10年間は子育てに専念していた。
地元近くに戻ってきたことを機にパートとして社会復帰をした。
まずは、車で10分程のところのホームセンターで1年間半働いた。
次は車で30分程のところの市役所で1年2カ月働いた。
そして、車で5分程のところの保育園の事務員として6カ月働いた。
ホームセンターの仕事は重労働もあったが、好きな園芸も出来たし、レジも接客も好きだった。しかし、どこの場所でもあることだとは思うが、8年位長く勤めているパートさんからちょこちょこ陰口を言われることがあった。陰口の内容は「私より先に入ったパートさんがまだ習ってないことを私の方が先に習っている」やら「シフト希望でいつも私が土日を×にしている」などだ。
仕事の進め方は私は受け身的な立場なので、そこを言われるのはよく分からない。
シフト希望も面接時に土日は入れないと話した上での採用だったので、店長は了承済みのことであり、そのことをとやかく言われる筋合いはない。
でもその時の私は耐えられなくなっていた。
長く勤めているからといって、すべての主導権を握り、聞こえるような陰口で人を落とし込む。確かに忙しくなる土日に休むことは私も罪悪感はあった。なので、家族と話し合ったうえで、土日のどちらかは入る努力もした。でも、夫も単身赴任なこともあり、家族のリズムがくるっていき、私はその職場をやめる事を決意した。
2か所目は市役所の市民課窓口で働いた。正規職員ではなく、派遣社員として、市民課の窓口業務や電話対応、郵送処理などを行う。大変忙しい職場だった。
たくさん覚えることもあり、家に帰っても勉強し早く慣れるよう努力した。その努力の甲斐もあり、リーダーから早々郵送業務など新しい仕事を与えてもらうようになった。そこでそれを気に食わないのが、やはり長く勤めている社員Aだった。その社員は30年近く働いていた。私が郵送業務をしていると「この付箋の張り方はおかしい」とか「なんでこの向きでいれるの」とか何かと私に言ってくるようになった。しかし、私はまだその業務はしていないことだった。ここで私は違うというのも違うと思った。私はまだしてないが、その間違いをするかもしれないし、「わかりました、ありがとうございます」と全て受け入れてきた。何より嫌われたくなかったのかもしれない。
そんな時、ある大きな事件が起こった。
市民課に新しいシステムが導入されるため、社員が数人ずつ順番で講習会を受ける機会があった。
私は最後の順番だったため、その時間まで郵送業務に入っていた。
しかし、急に変わって欲しいとリーダーに頼まれ、郵送業務は途中であったが、別の人に頼むから大丈夫と言われその場を離れた。講習会は1時間弱で終わり、戻るとざわざわしていた。小為替が合わないらしい。そこで、私は講習会前に小為替を入れる場所を間違っていたことを思い出した。そのことを話すと、リーダーはあったなら良かったと言ってくれた。私は、騒がせてしまい、申し訳ありませんと謝罪した。
しかし、長く勤めている社員Aは私に激怒して「もうこの人に郵送させんで」と大きな声で怒鳴った。私なりに一生懸命やっていた。でも失敗をしてみんなに迷惑をかけたのは事実だ。申し訳ございませんでしたと謝り、その場は終わった。
しかし、帰宅後涙が止まらなかった。
それから、半年ほど頑張った。でももうこれ以上続けることが出来なかった。
3か所目は、保育園の事務員だった。子供が好きなので、ずっと働きたかった仕事だった。私はやる気に満ちていた。今度こそは長く勤めたいという気持ちもあった。
私は退職する事務員の代わりとして雇ってもらった。しかし、引継ぎは5回ほどしか出来なかった。全く自信のない状況での独り立ちにかなりの不安も抱いていた。書面では引き継ぎ書をもらったが、実際にやると分からないことばかりで、これは合っているのだろうかと帰宅しても不安で四六時中、仕事の事で頭がいっぱいになっていった。
一番びっくりしたのは、引継ぎしてくれる事務員さんが急遽インフルエンザで休むことになり、園長は、私に仕事を与えないとと思ったのか突然1人で銀行に行くように言われた。言葉で「これはここから引き出してここに入金・・・」やらばぁ~っと話され「はい」と通帳を渡され「いってらっしゃい」と言われたことだ。緊張している状態で、初めてのことを口頭でしゃべられてもなかなか頭に入ってこない。不安だったが、とりあえずやってみようと思い、なんだかんだやりきることは出来た。でも真面目な私は本当に大丈夫だったのか、とても不安になるのだった。
夜も眠れなくなり、不安で動悸がするようになっていった。このままでは、病気になってしまうと思い、園長に不安な旨を話した。園長は「もう今日は帰ったら」と言った。
それは怒ってるとかではなく、少し休めば大丈夫だろうと思ったのだと思う。
でも休んだところで私の問題は解決しないのは分かっていた。引継ぎが曖昧で不安なのが原因なのだから。でも辞めた事務員さんの仕事はその事務員さんしか分からず聞きようがない。その事務員さんの辞めた理由もそれが原因だったのだから。
ここにはかけない色々なことがあり、私の心はもう壊れる寸前だった。気づけば涙が出ていて、頭痛でおかしくなる日もあった。CTも撮ったが特に異常はなくおそらくストレスや肩のひどい凝りからだろうということだった。
限界寸前だったが、就業規則である、退職の申し出は2カ月前にということを守り、なんとか頑張り、退職することが出来た。
私が仕事を辞めた理由は、人間関係だったのだろうか。
ただ私の心が弱かったのだろうか。
今でも分からない。
私がした失敗ではないことも私の失敗として注意されることが度々あった。
友人に相談したら、私だったら「私じゃない」っていうけどと言っていた。普通の人はそうなのかもしれない。私はそれが出来ないから続かなかったのかもしれない。
自分の発言に自信がもてず逃げていたのかもしれない。
最近1つ思うことは、私には自信が必要だ。
自分を信じる力。
今までは自分で自分を否定しもっと頑張れ頑張れとお尻をたたいてきた。
それが、自分の成長に繋がることだと信じ、自分の心に耳を傾けずに生きてきたように思う。
今は少し立ち止まり、まずは自分の心に耳を傾ける。そして、自分を信じよう。
かなり長文になってしまいました。
考えがまとまっておらず拙い文書を最後までお読みいただきありがとうございます。 ↓↓↓こちらのブログへの応援クリックをしていただけると嬉しいです。